第五章 安らげる場所
統馬が店のドアを派手な音を立てて開けると、カウンターでぼんやりと煙草を吹かしている真佐海がいた。
手元の灰皿は吸殻で一杯になり、店には煙が充満している。
そしてカウンターには、酒の入ったグラスがあった。
「統馬?どうしたの、そんなに慌てて・・・・・・」
さり気無く頬に流れていた涙をふき取る姿が痛々しくて、統馬はとても見ていられなかった。
「悪いけど、今日はもう閉店するよ。具合が悪いんだ」
フィルターのギリギリまで吸っていたタバコを揉み消し、真佐海は『閉店』と書かれたホワイトボードをドアに下げようと立ち上がったところを、統馬に抱きしめられた。
「何を言われたんですか?」
統馬の全身から漂う、その人個人の独特の匂いを傍で感じていると、不思議と荒れていた心が落ち着いていくような気がした。
「三日後に・・・・・・周助がここを出て行くんだ。これでやっと 吹っ切れるよ」
統馬の胸に安心したように頬を擦り付ける。
その姿はまるで主人に甘えている子猫のような仕草だった。
ずっと一人にされ、淋しかったと訴えるような。
統馬はその背中に手を回し、自分との距離を更に縮めた。
自分はこんなにも弱かっただろうかと真佐海は自分自身に問う。
十年前、武に自分と周助は兄弟だと告げられたときも、周助と別れたときも、無理に自己完結していたからか、誰かに頼りたいなどとは思わなかった。
まして、他人の胸にすがる日など、来る筈もないとすら思っていた。
統馬と過ごす日が増える度に、周助と過ごした日が思い出となっていく。
それでいい、と真佐海は思った。
それを望んでいたから。
そして二度と恋などしないと誓った。
恋は辛いもので、どんな困難を乗り越えていっても、最終的に自分が一番望んだものは手に入らない。
永遠など、ありえないと思い知ったから。
それは周助と付き合って学んだ事・・・・・・
だから統馬に対する想いも、歯止めをかけていた。
いつ別れてもいいように。
別れたときに取り乱さないようにと。
「真佐海さん、すみません。少しだけ、離れてもらえますか」
統馬にそう声をかけられるまで、真佐海は夕刻に、あろう事か店の中で統馬の背に手を回して抱きついていた事に気づかなかった。
幸い、吹雪のせいで店の前に人通りはなかったが。
「もう少し・・・・・・こうしていたい」
「・・・・・・我慢できなくなる」
数秒遅れで赤くなっている統馬の言葉の意味を理解した真佐海は、小さく笑い声をあげた。
「いいよ、もう」
そして、抱きついたまま、真佐海は統馬だけに聞こえるように
上に行こう」
とだけ、短く言った。