第三章  十年の月日

統馬は真佐海に案内された薄暗い小さな倉庫へ行くと、手探りで電気をつけた。

真昼だが、この部屋には窓がなく、冷蔵庫やドリンク類の箱が足場をなくすほど並んでいる。

冷蔵庫を開けてすぐに『カレー用』と書かれている箱が目についた。

一見が軽そうに見えるそれは意外に重く、怪我の話を聞いていなくても、華奢な真佐海には運べないだろうと統馬は思った。


それでも、時々こうして頼ってくれるのは嬉しく、統馬はつい浮かれた気分になってしまった。

「真佐海さん、ここに置くよ」

カウンターの上に箱に置き、統馬は当てもなく店内を歩く。
改めて店内を見回すと、各テーブルには一輪ずつ花が飾ってあった。

どれもよく手入れされていて、薔薇の棘は全て抜いてあった。

「重かったでしょ?」

そんな統馬を気にもせず、真佐海がランチ用にホワイトボードを書いていると、小さく音を立ててベルがなった。
「あれ?周助さん、こんな時間にどうしたんですか?」

ふと目を上げると怪訝な顔をした周助が立っていた。

「周助?どうしたの?」

「報告をしに、昼飯がてら来たんだ」

統馬は直感的に何か嫌な予感がした。

「今度からお前に窮屈な思いをさせずにすむよ」

「どういう事?」

周助の言葉に、真佐海はホワイトボードに書いていた手を止めた。

「結婚が決まったんだ」


半年ほど前、周助は取引先の令嬢である須藤裕美と武の勧めで見合いをし、それから何度か食事を兼ねて会っていた。

真佐海も一度だけだが会った事がある。

とても清楚な女性で、真佐海も好感を持っていた。

「そっか・・・・・・裕美さんと結婚決まったんだ。おめでとう」

言いながらも、真佐海は目の前が真っ暗で今にも倒れそうだった。

事実、一度周助の事は諦めたものの、一緒に住むようになってどこか期待していた。

だから三年もここに住ませていたのかもしれない。


一言、もう大丈夫だからと言えば出て行っただろうに、真佐海はそれをしなかった。

――一人が寂しい事を知っているからこそ、言えなかった。

「これでお前も気軽に上条を呼べるな。今まで共同生活だっ たからお前も彼女すら泊められなかったからな」

おめでたい事なのに、なぜか周助はあまり嬉しくなさそうだった。

政略結婚だからかも知れないが、どこか迷いのあるような、そんな表情をしている。

「オレ、ちょっと買い物行ってきます。六時くらいには夕飯 食いにきますから」

なんとなく居心地が悪くなった統馬は、逃げるように店を出て行った。

「まだ婚約の段階だ。だから正式に結婚が決まったら、ここ を出て行くよ。お前も、もう大丈夫だろう?」

昼食用に出したサンドイッチに手を付けながら、真佐海を見る瞳は、十年前のような野生的で、真佐海だけを想っているものとは違った。

全てに疲れ果てたような、どこか諦めたような雰囲気がある。

昔のように自由奔放な周助の面影は、もう消えていた。

「お前の方はどうなんだ?お前の事だから、碌に会ってない んじゃないか?」

「会ってるよ。昼間とか、結構店に来るしさ」
 

苦笑いを浮かべて答えると、どうだか、と周助が言い返し、背広の胸ポケットから携帯を取り出した。

「上条を呼んでやるよ。俺はそろそろ会社に戻らなきゃならないから」
 

最後のサンドイッチを口に頬張りながら手早くメールを打ち、それが終わると慌ただしく出て行った。