記憶

部屋と同じく、脱衣所も豪華で湯船も大きかった。
恭介のマンションの風呂も広いが、そのさらに二倍くらいはあるだろう。
適温に調節されたお湯に浸かっていると、恭介が入ってきた。手に持っていた小さな赤い玉を円形の浴槽に3つほど落としていく。


「それ、何?」


それはお湯でふやけ、赤い表面が破れると中から液体が流れ出ていた。


「入浴剤。洗面台の上にあったから持ってきた」


お湯を掻き混ぜると、透き通っていたお湯が白く濁った。


「悠真さんと飲まなくてよかったの?」


「俺より雅臣さんのほうが親父を扱いなれてるからいいんだよ」


さほど筋肉質でもないが、力強い腕が後ろに伸びてきてオレを引き寄せる。
オレは恭介を見上げるような形で座っていた。


「今日はありがとう」

湿った浴室にオレの声が静かに響く。

「オレ、小さいころからクリスマスとかイベント行事祝ったことなかったから楽しかった。
小さいころは母さんの顔色ばかりみてて、機嫌悪くしないように、いつも様子見てた。
機嫌が悪くなると、誰も手がつけられないから。
父さんと2人で暮らしてたときは生活的に余裕なかったからイベント行事は稼ぎ時で、毎年バイトの掛け持ち。
気がついたら年が明けてた」


これだけ落ち着いて話せたのはやはり悪夢をみても目が冷めたら一人ではなかったからだろう。

「今日みたいなのでよかったら、また来年もやろうか。
親父も文也も優希の事、気に入ってるしさ」


恭介の肩に寄りかかって、オレは小さく頷いた。


「少し訂正。来年だけじゃなくて毎年やろう」


後ろに回された手で、軽く頬を撫でられる。くすぐったいけど、気持ちいい


「それってさ、来年も、再来年もオレと一緒にいてくれるって事?」


目を閉じて、恭介の言葉を待つ。少しの期待と不安が同時にオレの心を多い尽くす。


「文也に何を言われたかわからないけど、俺はそのつもりだよ。男同士だから結婚もできにないし、子供もできない。
でもそれなりに問題は解決できるだろ?
俺はそれでいいと思ってるんだ」


思わぬ告白に、オレは何も言えなかった。
オレも恭介と一緒にいたい。
子供も、形だけの「夫婦」もいらない。そう、思っているから。

「そろそろ、上がろう」

伝えたいのに、なかなか言葉を発せずにいるオレを、脱衣所に行くように促した。
上から青いバスローブをかけられると、広いベッドに寝転んだ。


ほら、と、寝転んでいるオレの頬に冷たい水の入ったグラスを当てられる。
それを受け取って、中に沈んでいる薄いレモンをガラス棒で潰して飲むと、さっぱりして、カクテルの甘さを口内から消してくれた。
恭介はまだ少しのみ足りないのか、ワインを飲んでいる。


「俺さ、初めて人に嫉妬したんだ。満さんに優希を取られて悔しかった。
もう少し早く優希に俺との関係を伝えればよかった、って何度も後悔した。
でも、優希が幸せなら、それでもいいと思ってた。
そんな時、文也に言われたんだ。
『今の兄貴はオレの兄貴じゃない。別人だ。オレの兄貴ならとっくに何か行動起こしてる』ってね。
一気に目が覚めた。
でも何をしたいいかわからなかった。
丁度その時、満さんに副部長就任と、他の病院に引き抜きの二つの話が出てたんだ。
満さんは副部長じゃ不満らしく、他の病院の引き抜きに同意した。
同意して一週間後、つまり2日前、優希に別れ話を出したんだ。
倒れていた優希を見て、すぐにわかった。
自分を頼ってきてくれたと自惚れて、嬉しい反面、満さんを憎んだ」


苦笑いを零し、グラスに口をつけ、醜いな、と付け足した。

「醜くなんてないよ」

空になったグラスをベッドサイドテーブルに置いて、オレのより一回り大きいバスローブから除いている広い胸に頬を寄せる。

「醜くなんてない」

恭介が回した腕に頭を乗せて、少し濡れている髪に触れた。
「もう何処にも行かないから、そんな顔しないで」

今の恭介にはいつもの余裕はなさそうで、顔を見せないように、オレの胸元に顔を埋めていた。
少しだけ見える頬に一筋の涙の跡が残っている。
さっきのオレと立場逆転だな、なんて思ってしまい、これまで以上に恭介を愛しく感じた。
俺の為嫉妬してくれて、喜ばせようと必死になって・・・


「恭介以上にいい人なんてこれから現れないね」


恭介の指とは太さも大きさも全く異なる細い指先で、涙の跡をなぞっていく。


「絶対離さない」


強い力で抱きしめられると、恭介の想いが痛いほど伝わってきた。


しばらく抱き締め合って恭介の腕が少し緩むと、額にキスを送って、少しだけ距離を置いた。
恭介はそれでも引き寄せようとせず、恭介の腕からは力が抜けていた。


「恭介?」


上半身を起こして、肩からずり下がったバスローブを直して恭介の顔を覗き込む。


「・・・寝てる」


そこには規則正しい寝息を立てている恭介がいた。

「オレも寝よう」

恭介が上している腕に負担にならないように体を預け、オレも眠りに入った。