第九章 想いの深さ
愛する事が、こんなにも幸せな事だと、真佐海は初めて知った。
周助の時は、不安で仕方なかった。
いつ周囲に知れ渡るか。
いつ周助と別れる事になるのか。
幼い真佐海は必死だった。
そして別れを告げられて以来、真佐海は恋に臆病になった。
別れる羽目になると思うと、どうしても本気になれなかったのだ。
それでも、なぜか統馬にだけ、恋愛感情が芽生えた。
統馬を好きになるなと言うのは、真佐海にとって無理な話だった。
好きだと気づいたのが遅かったのもあるかもしれない。
だが、真佐海は統馬に一目惚れだった。
他の人達とは違う、と。
初めて話しかけられた時から解っていた。
この人ならもしかしたら自分を助け出してくれるのではないかと、そんな気もしていたのだった。
「覚えてる?俺が初めて真佐海さんに話しかけた時の事」
二人で真佐海のベッドで寝そべりながら、統馬はまだ息の荒い真佐海に話かけた。
真佐海の必死の告白の後、統馬の部屋では壁が薄く、隣に人が住んでいるからという理由で真佐海の家へ戻り、体を重ねた。
「店に客がいなくなってから、ずっと俺の事聞いてきたんだ。最初は何でこんなに俺の事
聞いてくるんだろうって不思議だった」
その日の事を、真佐海は今でも鮮明に覚えている。
一日中雨が降っていて、客は常連客以外来なかった。
そこに、ずぶ濡れになった統馬が入ってきて、真佐海は思わず、見とれてしまった。
この辺では見かけないほどの美形だったという事もあったが、驚いたように目を見開いた統馬と目を合わせてしまい、なかなか目を逸らせなかった。
それ以後、周助にまだ未練が残っている筈だったのに、統馬の事が頭から離れなくなった。今度はいつ来るのだろう、そればかりを考えていた。
それが『好き』という気持ちだというのを知らず、つい最近まで自覚していなかったのだが。
「四年間、名前も知らなかったんだ。だからあの時は話せた事が嬉しくて、つ
い・・・・・」
腕の中にいる真佐海の髪を撫でながら、統馬は苦笑いをこぼした。
その、髪を撫でるという事だけで、真佐海は幸せだと実感できるようになった。
「ねえ、俺が周助と付き合ってたってなんでわかったの?」
「二人の態度見てればわかります。お互いに気を使いあって、なんか別れたばかりの夫婦
みたいな」
その表現の仕方に思わず真佐海は笑ってしった。
「そっか。そんな風に見えてたんだ。でもね、俺たち、兄弟って言っても、腹違いなんだ
よ。なんか親父たちにも凄い馴れ初めがあるみたい」
統馬の広い胸に抱かれていると安心して何もかも言えてしまう気がした。
「そうなんだ。でも・・・・・・今日真佐海さん気づいてた?ヤッてる最中、好きだっ
て何度も言ってくれたの。あれ、凄く嬉しかったよ。今まで言ってくれなかったから」
いつもの事だが、真佐海は情事中に自分の言った事をほとんど覚えていない。
それでも、今日は統馬の事を本当の意味で信じられた事で、『好きだ』という気持ちが抑えられず、今まで統馬が情事中に言ってくれても、答える事ができなかった想いも、自然に口走っていた。
思い出すと、今でも恥ずかしい。
だが、統馬はとても喜んでくれた。
いつ別れる事になるのかと心配していた十年前。
そしていつか別れるのだと諦めを抱いていた真佐海を変えたのは、統馬だった。
真佐海は、自分を変えてくれた統馬に感謝の気持ちで一杯だった。
「真佐海さん?」
思い出し、恥ずかしくなって顔を枕に隠しているうちに、いつの間にか真佐海の意識は眠りかけているのか、薄れていき、それ以後の返答はできなかった。
次第に規則正しい寝息を立てる真佐海の髪を、先ほどと変わらず、指を通したり、撫でたりを統馬は満足そうに繰り返す。
本当は、自分の女遊びを真佐海に話すつもりだった。
けれど、それはそのうちでいいだろう。
時々身じろぐ真佐海が、今までに無いほど幸せそうだったで、壊したくなかった。