クリスマス

揺ら揺らと意識を漂わせているうちに、映画は終わってしまったらしい。所々目を覚ましては画面を見つめていたが、眠気には勝てずに目を閉じてしまっていた。そろそろ終わりだろうと隣の座席からコートを取り、座りなおしていると、エンドロールが終わり、劇場が明るくなった。

 劇場内を見渡すと、もう他の人は出て行ってしまったのか、黒い、とても艶のある長い髪の女性と俺だけだった。

 その女性は、覚束ない足取りで通路の方へ来ると、ほんの僅かな段差に躓き、床に座り込んでしまった。

「大丈夫ですか?」

 手を差し出し、女性の顔を覗き込むと、頬に涙が流れていた。

「あ、はい。大丈夫です」

 慌てて涙を拭い、俺の手と座席の肘掛に掴まってやっとのことで立ち上がり、手を離すと顔をしかめた。どうやら足を捻ってしまったのだろう。

「玄関まで送りましょうか?」

 まさかそのまま置いていくわけにもいかず、俺はそう申し出る。すると女性は、お願いします、と小さく呟いて俺の腕に掴まった。

 そういえば、理絵には腕を組ませなかったなとふと思いながらゆっくりと歩いていると、手に冷たい水のものが落ちてきた。

「ごめんなさい」

 慌てた様子で俺の腕に掴まったままバックからハンカチを取り出し、俺の手を拭う。どうやら涙のようだった。

「・・・・・・少し座りましょうか」

 俺はロビーの椅子に女性と座ると、女性はまたごめんなさいと俺に謝った。

「別に気にしなくていいですよ。足、痛みますか?」

足が痛くて泣いているのではないとわかりながらも俺は尋ねた。

「足は少し傷む程度なんですが・・・・・・」

そうですか、と短く返答し、沈黙が流れる。

 暫くして間が持たなくなった俺は、女性にホットココア、そしてホットコーヒーを買って席に戻った。

「あの、不躾な質問なんですが、なぜ泣かれているのか理由を聞いても?」

 女性は礼を言ってココアを受け取ると、プルタブを引いて一口飲んだ。

「あの映画で、主人公が恋をするシーンあったじゃないですか。それ見ていて、今日振った彼氏の事を思い出しちゃって・・・・・・」

「奇遇ですね。俺は今日、彼女に振られましたよ。俺が仕事優先すぎてつまらなくなったらしいです。努力はしたんですが・・・・・・彼女、浮気していました。今日も本当は会う約束だったんですが、来る途中に言われたもので、一人寂しく映画に」

「彼も、浮気していました。それが嫌で別れたんですよ。それで自棄になって映画に」

 俺は同じですね、と苦笑いをしてコーヒーを飲み干した。 

「いつの間にか・・・・・・ただの情に変わってしまうんですよね」

 小さくため息まじりに言った彼女の言葉に、俺は同意する。俺も、同じだった。

「・・・・・・映画みたいにうまくは行かないんでしょうね」

諦め半分、といったように俺が言うと、今度は彼女が同意した。

 その後暫く話をしているうちに彼女の涙は止まり、話題も変え、時折笑顔を見せるようになった。

意外だったのは、俺と趣味――映画鑑賞や本など特殊なことではないのだが――が共通していて、気が付くと映画が終わってから一時間もロビーで話しこんでいた。

 そろそろロビーも騒がしくなり、人で溢れかえってきた。俺はなんとなく、まだこの女性と話がしていたくて色々と話題を降っていたのだが、そろそろお開きかもしれない、と思った直後、コートの中の携帯が鳴った。

 それは以前、理絵が行きたいと言って予約を取ったレストランからだった。俺が予約時間を過ぎてもこないので、電話をかけたらしい。

案の定、俺はすっかり忘れていて、だが断るのも惜しいと思い、耳に携帯を当てたまま目の前にいる彼女を誘った。

 彼女は少し迷った末、喜んで、と言ったので、俺はこれから行きますと言って電話を切った。

「では、行きましょうか」

 俺は立ち上がり、まだ足を引きずって歩く女性を支えて映画館の階段をゆっくりと下りた。

 駐車場に付き、車の助手席に彼女を乗せると、彼女があの、と声をかけた。

「お名前を伺ってもよろしいですか?私は・・・・・・麻生美雪です」

 頬を仄かに紅く染めて恥ずかしそうにそう言われて、俺は初めてお互いが名乗っていなかった事に気づいた。

 俺も慌てて西条雅紀です、と名乗って車を出すと、何気なく通ってきた道が突然色付いた様に感じた。

 華やかなイルミテーションさえも関係ない、と言わんばかりに視界に入れなかった俺に、さまざまな色が舞い込み、内心焦った。

 理絵に振られてもうすぐ半日が経とうとしていたが、不思議と、俺の心は満たされていた。